3月11日の午後、僕は渋谷の街を自転車で走っていました。
突然の揺れ、今まで生きてきて経験した事のないような揺れ。
建物のガタガタと大きく揺れる音、人々の叫び声が辺り一帯を埋め尽くしていました。
もう、その場に立っているのがやっとでした。
何も出来なかった。
幸いにも怪我もなく、無事に今も生きています。
「人の命が失われる」
この事を僕は厳粛に捉えたいと思います。
人間として当然の事であると思いますが、
「対岸の火事」ではなく、より卑近な出来事として。
亡くなった方々には家族も、恋人も、友人もいたかも知れない。
夢や希望、全てを一瞬で失ってしまったのです。
これだけ沢山の方々が、です。
想像しただけで、胸が張り裂けそうです。
そして、未だ安否の確認が出来ていない方々もいらっしゃいます。
かろうじて生き延びた方々も、家や大切なモノを失い、今も不自由な生活を余儀なくされています。
こういう方々の心情を、僕が100パーセント理解する事は出来ないでしょう。
実際に経験していない訳ですから。
「わかる」なんて間違っても言えないです。
でも、「もし、自分だったら」「もし、自分の家族だったら」「もし、自分の恋人だったら」
と、想像してみてください。
「前向き」や「ポジティヴ」という言葉は大好きだけれど、目を伏せないで欲しいと思います。
現実を見ないで、目を伏せる事は、決して「前向き」ではないと思います。
また、「頑張れ」という言葉も大好きだけど、こういう状況の人達に実際に、
「頑張ってくださいね」と言えるのだろうか。
家も家族も失った人間に、「頑張ってくださいね」って言えるのだろうか。
きっと、言葉、出ないと思う。
「前向きに行こうぜ」なんて言えないと思う。
そんなレベルの話じゃない。
「そういう気持ちを胸に、何をしてあげられるか」って事だと思う。
どこまで「汲んで」、何かをしてあげられるかだと思う。
メディアは嘘ばっかりついてる。
不安ばかりを煽ってる。
でも、肝心な事は言わないでいる。
原発の事故、もっと早く情報を公開していたら、あんなに沢山の人達が被爆しただろうか。
自分や、自分の家族、恋人が、被爆者になってしまったら、どうだろうか。
あんな適当に誤摩化して、情報を小出しにして、隠蔽が前提みたいな会見見て、
腹が立たないか?
「誰が悪い」とかそういうんじゃない。
頼むからちゃんとして欲しい。
だって、あれだけの夢や希望が失われているんだから。
あれだけの悲しみや苦しみが、今も、涙となってこぼれているんだから。
笑顔に変えたい。
それは、そう。
自分が笑顔でいる事から始めたい。
勿論。
でも、そんな奇麗事では片付かないくらい、大きな悲しみや苦しみを抱えた人達が、
今も、悲しみ、苦しんでる。
多くの命が失われた。
そういう自覚が、今、自分達に一番必要なのではないかと思う。
そういう自覚があった上で、何が出来るかって事だと思う。
本当に、想像もつかない。
そういう気持ちを胸に、今、僕が出来る事、僕にしか出来ない事が一体何なのか。
しっかりと考え、行動したいと思います。
亡くなった多くの方々や、今も被災地で苦しんでいる方々に失礼のないように。
今回の災害で亡くなった多くの方々に心からご冥福を申し上げます。
また、被災地の方々の一日も早い回復を願っています。
未だ行方不明になっている多くの方々の無事を願っています。